はじめに

【自己紹介】スキルゼロからWEBマーケティングを学ぶ看護師

はじめまして。

このWebサイトにお越しいただき、ありがとうございます!

アラサー看護師の「いのっち」です。

この記事では、わたしの「プロフィール」について、お話ししたいと思います。

 

わたしは、看護師になりたくてなりました。看護師の仕事も大好きです。

訪問看護の仕事をして、様々な患者さんと出会い、
「孤独や孤立を解消するためにつながりをつくりたい!」
役割生きがいをもって暮らすひとを増やしたい!」と強く思うようになりました。

けれども、経験を重ねても昇給が見込めず、
夜勤をやめてから「初任給を下回る」という現実に直面しました。

そのため、看護師の立場からではなく、WEBマーケターになり、

①人の気持ちを理解できるようになって
 ウェルビーイングな暮らしや社会を実現すること
働きながら1年で月30万円の収入を得ること

この2つを目標に、ゼロからWEBマーケティングを学ぶことを決意しました。

基本情報

・名前:いのっち
・性別:女
・年齢:32歳
・職業:看護師 (デイサービス+訪問看護のアルバイト)
・住所:東京都
・好きな食べ物:抹茶系のスイーツ、ファミリーマートのカヌレ、スパイスカレー
・好きな飲み物:日本酒
・趣味:YouTubeをみる、フェスにいく、観葉植物を育てる、イラストをかく
・好きな漫画:キングダム
・性格:とりあえずやってみる
・好きなアーティスト:WANIMA

看護師になろうと思ったきっかけは「1リットルの涙」

1リットルの涙」という沢尻エリカさんが主人公のドラマです。

その母親役の薬師丸ひろ子さんが「保健師」の仕事をしており、
『保健師になりたい』と思うようになりました。

どうやってなるのかを調べたら、看護師にならないといけないことが発覚!
『血とか苦手だし、注射も自分がするなんて。考えられない。』
というのが正直な気持ちでした。

でも、進路を決めなくてはいけないので、
高校2年生の夏休みに「1日看護体験」に行ってみることにしました。

ビビッときてしまった訪問看護師!

1日看護体験に参加

訪問看護に同行させていただくことになりました。

そしたら、感動してしまった。
よく結婚相手に出会ったらビビっとくるとかいうけれど、
『そのビビッとがきてしまった!!!』
その日からもう「訪問看護師になる」しか、考えられなくなりました。

訪問させていただいたお家は、100歳を超えるおばあさんで、寝たきりの状態でした。
会話をすることもできません。
看護師さんがいろいろと話かけたり、ご家族と世間話したりしながら、
あったかいタオルで身体を拭いていくうちに、
おばあさんの表情がみるみる明るくなっていったことをいまでも鮮明に覚えています。

看護師さんとそのおばあさんの娘さんとの関係も素敵で。
お互いに感謝を伝えあっていて。
その好景をみて、心があったかくなるような感じがしました。

それから、『訪問看護師になる!』と、決意したにも関わらず…
高校時代はバイトばかりしていたので、
遅刻はするわ、授業中に寝ちゃうわで、どんどんついていけなくなる悪循環。
数学が3点だったのはびっくりしました。(100点満点中)
もちろん、推薦はもらえないし、センター試験を受けても無駄だと言われました。

それでも、訪問看護師になるという夢は諦められず、
家庭教師をつけてもらったり、専門の予備校に通わせてもらったりして、
看護専門学校に行けることになりました。

看護専門学校へ入学

専門学校は3年間なので国家試験のギリギリまで実習がありました。
その実習が12月に終わって、勉強にとりかかりましたが、
必修問題が合格ラインまでいきませんでした。

試験に落ちればただの人。

友だちが必修問題の問題集を教えてくれて、
なんとか予備校の最後の模試でギリギリ合格できるラインまでに達することができました。

それから、人生最大級に勉強しました。
トイレと食事と寝る時間以外は、机にはりついて全て勉強に費やしました。

眠気覚ましで「甘い缶コーヒー」をずっと飲んでいました。
当時のことが蘇るので、もう飲めません。(笑)

みんなのおかげで、無事に国家試験に合格することができ、
配属先も第一希望に決まりました。

大学病院。激動の看護師1年目。

HCUでの勤務

訪問看護師になることを見据えて、
「幅広い疾患がみれる」かつ「緊急入院の受け入れをしている」
HCUで5年間働きました。

看護師1年目は、本当に辛かったです。
実習はインターバル(休み)があるけれど、仕事となると終わりがなく、
出口の見えないトンネルをひたすら歩き続けているような絶望感がありました。

実習でも見たことがなかった脳ドレーンを正直に『わかりません』と言ったら、
「そんなんで受け持たせられない!」と、先輩に激怒されて、
小部屋に閉じ込められて(笑)丸一日、そのことに関するまとめをして、
謝りに行きました。

『わからないことをわからない』と言うことが怖くなって、
必死にわかってる風に取り繕う毎日。

当時は紙カルテだったので、必死に看護記録(SOAP)の下書きをして、
先輩に添削してもらって、また書き直して…の繰り返し。
気づけば夜勤の消灯時間に…。

家に帰って、勉強しなくちゃいけないのに、身体が動かない。
お腹も空いてるのに、料理をつくったり準備するのもめんどくさい。
ダイエットコーラーとガリガリ君で空腹を満たしました。

ただただ寝ました。勉強しなくちゃいけないのに。
休日もベッドの上から動けませんでした。

ただただ、横たわってYouTubeを見る日々。

突然、身体に異変!?

唯一、楽しみだった、同期のみんなとお酒を飲んでいたとき、
トイレに行こうと立った瞬間、目の前が真っ暗になりました。

目をあけてるのに見えない!!!

自分で自分に何が起きてるか全くわからず、
みんなが声をかけてくれて、『大丈夫?救急車呼ぶ?』と聞かれて、我に返りました。

わたしの勤務していたHCUは緊急入院を受けいれてるところなので、
自分の病棟にお世話になることは絶対に避けたいと思い、なんとか復活しました。

それから、何回かお酒を飲むと同じ現象が起きました。
目の前が暗くなって、ムカムカしてきて、立っていられなくなる。
電車やバスの中で起きた時は最悪です。逃げ場がないからです。

もう、お酒を飲むことが怖くなって、飲めなくなってしまいました。
学生の頃は、浴びるほどお酒を飲んでいたのに。
テキーラの一気飲みもできてたのに。(笑)

今、振り返ると、おそらく夜勤をはじめて生活リズムが不規則になったので、
自律神経が乱れて、「脳貧血」を起こしていたのではないかと思います。

国家試験のストレスで食べることしか楽しみがなく、
ぶくぶくに太っていましたが、この1年で10キロほど激痩せしました。

本当に激動の1年でした。

看護師6年目、夢の訪問看護師になる。

はじめての転職

5年間大学病院で働き、「訪問看護の道」へ進みました。

自分の引き出しがなさすぎて歯がゆい日々。
役に立ちたいのにどうしたらいいかわからない。

いままで、病院ではただルーティン作業をこなしていて、
自分の頭で考えることを怠ってきた」と痛感しました。

便秘の薬とわかっていても、どこにどう効くのか。柔らかくするのか、腸を動かすのか。
ちゃんと区別することができず、指示された通りの薬を使うだけでした。

恥ずかしいけれど、オムツもきちんと当てられていませんでした。
とにかくスピード重視で、漏れない工夫をするより、
漏れたら替えるしかないと思っていました。
在宅では、わたしたちのいない時間は本人のみ、
もしくは家族だけなのでそうはいきません。

治療も病院のように強制はできない。そもそも家にすら入れないこともあります。

とにかく必死に食らいついて勉強しました。

みんな訪問看護がやりたいメンバーだったので、刺激をうけて、
『自分も頑張らなきゃ!』と思えました。

夜勤をやめてから、飲めなかったお酒がまた飲めるようになりました!
これをきっかけに、どっぷり「日本酒」にハマります。

負のループ

夜間待機も週1回、やるようになりました。

深夜、呼ばれても、そのあとに振り返りがあったり(今思えばありがたい言葉の数々)、
待機の日は事務所に泊まっていましたが、他のメンバーが夜遅くまで仕事をしているので
なかなか寝れなかったり、朝は布団やユニフォームの洗濯があって早く起きなきゃいけなかったり、途中でコールがあるとご飯をまともに食べれなくなったり、
些細なことが積み重なり、どんどん辛くなっていきました。

日々の定期訪問も、がん末期の患者さんが多かったため、
自分の至らなさに、どんどん苦しくなっていきました。

そんな時、所長が交代になり、馬が合わず、ミスが相次ぐ毎日
それで落ち込み、またミスをくり返すという負のループ。

看護師向いてないかも…。』と何度も何度も思うようになりました。
通勤中もなんだかよくわからないけれど、涙が出てくることが続きました。

なりたかった仕事なのに、わたしはなんでこんなにもダメなんだろうと思いました。

その時期に、4年間お付き合いしていた彼氏ともお別れし、
お酒がストレス解消になり、
週末は吐くまで飲むことも少なくありませんでした。

そして、仕事を辞めることを決意します。

看護師やめる?

再び訪問看護!

30歳を目前にして『路線変更するなら今だ!』と思いたち、
一般企業の面接にいったり、WEBデザイナーのスクールに通い始めたりしました。
(面接は落ちました…。)

酒びたりになった胃腸をリセットするために断食にいったり、
1か月くらい、のびのびしました。

ふと、自宅に看護系の本がたくさんあるのを見て、
『自分はよく頑張ってたな』と思うことができました。

ワークライフバランスを重視できるところで、再び訪問看護に挑戦することにしました。

新しいところでは、即戦力として、働くことができ、
あんなにダメだと言われてたのに、褒めていただけることも多々あり、
自己肯定感がアップしました!

コロナが始まる…

家族と会えないなら「最期はお家で」と在宅療養を選ぶ方も多かったため、
ステイホームとは無縁で、あちこち駆け回りました。
時には、車を運転しながら、食事をとることもありました。

そんな中、ある日、アクセルとブレーキを踏み間違え、
民家のドアに激突し「事故」を起こしてしまいました。

そこから、思い切って、訪問は自転車にまわることにして、夜間待機もやめました。
夜間待機で稼いでたこともあり、その分の税金が引かれ、
手取りは新卒のときいただいてた大学病院のお給料を下回ることに。

日々の仕事が忙しくてすぎて、Webデザインの勉強もお金をただ払い続けて2年間経過。
お給料は下がってるのに、入会金を14万円くらい払っていたので、
辞めるにやめられない状況に。(結局、何のスキルも得られず退会します。)

看護師10年目、経験は積んできたけれど、
やっぱり夜勤や夜間待機をやらなくては稼げない。
そもそも、医療業界はお給料の財源が診療報酬だから、もらえる額もしれている。
いくらやりがいがあっても、この先ずっと続けていけないかもしれない。
貯金もできず、減っていく一方…。
やりたいことはいっぱいあるのに、このままでは何もできない。

また、夜間待機を辞めたことで、新しい利用者さんの訪問へ行く機会が減り、
ルーティンワークが多くなりました。
このまま、ここにいても成長はできないと感じて、「モヤモヤ」する毎日でした。

エビデンスよりも感情が優先な風潮や、カンファレンスすら開催されない状況に
「イライラ」してしまうようになりました。

高校生のときから『訪問看護師になる!』という一心で生きてきたので、
訪問看護を5年間続けて、燃え尽きというか、
目指す山がなくなり自分はどこへいけばいいのかといったような、
虚無感におそわれるようになりました。

このまま、ここにいてもいいのか…。

【転期】救世主!あらわる!

そんな中、YouTubeでたまたま「勝友美さんの動画」に出会います。

1人1人みたい景色が違うことを理解しなくてはいけない
その言葉が心に刺さりました。
日々「イライラ」していた気持ちが割り切れるようになり、本当に救われました。

勝さんの言葉に何度も救われ、オンラインサロンに入会しました。

勝さんの名言の数々を聞いてるうちに、
1度きりの人生だし、病気があってもなくても生きていける保障はないし、
明日死んでも後悔がないくらい、自分の「夢」に熱中して生きていきたい
不平不満を言い続けている自分を変えたいとそんな気持ちになりました。

新たな夢

わたしの今の「夢」はなにか…

これまでの経験を振り返ると、2人の患者さんと出会いから、

「孤独や孤立を解消したい」
「役割や生きがいをもって暮らすひとを増やしたい!」という強い気持ち
でした。

<1人目はAさん>

脳梗塞の後遺症で痺れがありますが、生活は問題なくできています。
息子さんと2人暮らしですが、仕事が忙しく、ほとんど1人で過ごしていました。
健康チェックと内服状況の確認が主なミッションでしたが、
訪問して早々、Aさんはいなくなります。(笑)

近所の洋菓子屋さんで「サバラン」という
とてつもなく甘いケーキを買いに行ってくださったり、
冬はアツアツの缶コーヒーを鍋で煮込んでくださったり、
おもてなしをしてくださります。

1人でぼーっとしている時間が多いので、
デイサービスの利用を何度もすすめましたが、
1度行ったきり、『あんなところには行かねー!』と拒否されていました。

「食べること」が唯一の楽しみだったようです。
ときには、1日に柿を6個食べ続けて、
カリウムの数値が一気に跳ね上がり、危ないところでした。
物忘れが増え、薬の飲み忘れも多くなっていきました。

ある日、訪問したときに、明らかに口角が下がっており、
そのまま、脳梗塞の再発で緊急入院となってしまいました。

Aさんは、ありとあらゆる仕事をやってきたといい、お料理上手だったり、
藁をつかってなんでも作れたり、
お部屋には優良運転手の賞状がたくさんあったり、

色々なスキルがあるのに「閉じこもりっきりではもったいない」
強く思いました。

 

 

<2人目はBさん>

舌がんの手術後で固形の食事が全くとれない状況でした。
家族とは何十年も疎遠な状態で、
「再び食事がとれるようになること」が唯一の希望でした。

傷の治りが悪く、感染をおこしていたので、連日処置にいっていました。
「俺って〇〇さんに似てイケメンだろ?」と冗談を言ったり、
いつも気さくに接してくださっていました。

ある日、夜中に『下痢がとまらねーんだよ!!!』と電話が入り、
すぐに切られてしまいました。折り返しますが、繋がりません。

放置しておくわけにもいかず、訪問すると…
いつもと違って言葉数が少なく、
ふらふらとキッチンの方へ向かい、包丁を取り出しました。

その包丁を持ったまま、自分のお腹に突きつけようとしていたので、
わたしは、包丁を奪い取ろうと勝手に体が動いていました。

無気力な状態だったので、無事に包丁を奪いとることに成功しましたが、
1人では対応仕切れないので、一旦、おむつを取りに行くという名目で車に戻り、
先生に連絡しました。

部屋に戻ると、再び包丁を手に持っていました!!!

包丁を没収して車に戻ればよかったのに、
わたしはキッチンの包丁ケースに元通りに収納してしまっていたのです!
先生に警察を呼ぶように指示を受け、その場から離れることにしました。

全身がガクガク震え、パトカーの音が聞こえたとき、
緊張の糸が切れて涙が止まらなくなりました。
パトカーが何台も駆けつけてくださり、結果、未遂で終わり無傷の状態でした。

Bさんは、その日、病院へ受診し、
『もう手術は無理。(=食事は食べれない)』と言われ、
自暴自棄になってしまったようです。

Bさんに心の拠り所となるところがあれば、
ここまで追い込まれなかったのではないかと思いました。

 

それから、孤独や孤立を予防するために
「つながり」をつくりたい
と強く思うようになりました。

みなさんはご存知だと思いますが、
コミュニケーションが減ると記憶力が落ち、認知症のリスクは高くなります。
また、孤独は喫煙に匹敵するほど健康に悪いと言われています。

とじこもりがちな人をもう一度、外へ連れ出すのはなかなか難しい問題です。
とくに、ご高齢の方だと、自分の慣れ親しんだ環境から、
わざわざ新たな環境に踏み出すということが難しくなってきます。
もう十分頑張ってきたから、もう無理する必要はないと思ってる方も少なくありません。

病気があっても「つながり」をもってほしい、
とじこもりがちになる前に家族以外の「第三者と交流する機会」を増やしたい
と常日頃、思っていました。

 

そして、「まちづくり」に興味を持ち、関連する勉強会に参加したりしていました。

まちづくりの勉強会などを通じて、いろんな人に出会うことができましたが、
その場では、楽しくても関係を続けていくためには、
「相手の役に立つことが必要」だと感じるようになりました。

でも、看護師しかやってきていないので、
『どうすればいいかわからない』という悩みがありました。

そこで、

「なんとなく欲しい…」と思っているお客さんが
商品を購入してくれる(行動する)マーケティングのスキルがあれば、
大きな問題に直面する前の「なんとなくやばいかも…」という段階で、
予防する行動を促せるのではないか、

そして、集客できるマーケティングのスキルがあれば、
人と人との「つながり」づくりに貢献できるのではないか、

つながりが増えることで、病気を予防できるのではないか、

ウェルビーイングな暮らしや社会を実現できるのではないか、
と考えました。

 

「ウェルビーイング」とは、個人の権利や自己実現が保障され、
身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念のことです。

引用:厚生労働省 雇用政策研究会報告書 概要(案)

 

看護師11年目。デイサービスに転職。

新しいことに挑戦してみようと決意し、前職の先輩がデイサービスを開業したので、
ついていくことを決めて、今に至ります。

デイサービスにいったら、
『看護師としてのレベルが下がるよ』『絶対、物足りないよ』と言われたりしましたが、
自分が選んだ道を正解にするために、奮闘中です!

 

 

 

ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。